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「日本Sugeee番組」を批判すべきホントの論点

出羽の守 インターネット 雑文 SJW

 愛国ポルノ、自国礼賛番組などと呼ばれてますが、ここでは特に日本を礼賛する番組が批判されがちなので、「日本Sugeee番組」として一まとめにしてみます。

 昨今話題のアレですな。

 オレ自身はワリと間口が広くて、何でもかんでも見ちゃう読んじゃう聞いちゃうタイプですし、嫌韓ネトウヨを自称しつつも韓国人作家が大好きだったりするので、正直特定の作品や番組を唾棄するほど嫌いだっつーその感覚が全く理解出来ないんですが、それ以上に理解出来ないのは、嫌いなら見なきゃ済む話なのに、その嫌いなモノが存在している事自体が許せないとばかりに批判し続けないと死んじゃう感覚ですかね。

 いや、仮にその対象が嫌いで嫌いでどうしようもなくて、とにかくその気持ちを表現しないと心が擦り切れそうになるっつーなら理解もしますし同情もしますが、「日本Sugeee番組」を批判する人たちはそんな感情任せの人たちではなく、大抵は物事を斜に構えて見るのが好きそうなポスト中二病気質な人たちとか、グローバニズム大好きな地球市民志向な人たちが多いですよね。

 個人的に、「日本Sugeee番組」嫌いな人たちの言動を不毛に感じる一番の原因は、彼らが「私はこんな番組が好き」って方向に話を持っていけないところなんですよね。だから、文句を云うために批判しているだけにしか見えず、非常に筋が悪い。彼ら的には「日本Sugeee番組」の悪いところを批判しているつもりなんでしょうけど、「日本Sugeee番組」の良し悪しを語る客観的な基準がないため、傍から見れば単に気に入らないから文句を云ってるだけにしか見えないワケですよ。

 

 オレ自身は何でも見る読む聞くと前述しましたけど、やっぱり嫌いなタレントさんや嫌いなジャンルの番組は少なからずあるので、そういうのは意識的に避けます。もしたまたま見ていた番組に嫌いなタレントさんが出ていたら(ケースバイケースですけど)チャンネルを変える事もありますし、TwitterのTLで文句や愚痴の一つ二つ三つ四つも零します。ただ、それはあくまでもオレ個人の好みの話であって、オレが嫌っているタレントさんが世間的に低評価なんて事はありませんし、ましてやオレの感覚が一般的ないし客観的に正しいなんて事は絶対に思いません。

「日本Sugeee番組」に問題があるとすればヤラセやデマを流布した場合ですが、その批判はあくまでもヤラセやデマの流布という行為そのものに対する批判であって、「日本Sugeee番組」という形態に対しての批判としては成立しませんよね。どんなジャンル・媒体の作品であれ、ヤラセやデマの流布はそれ自体が批判されるモノでしかなく、それを持ってジャンルや媒体への批判に繋げるのは牽強付会に過ぎます。

 例えばの話、「日本Sugeee番組内でヤラセやデマがあったので、日本Sugeee番組は問題だ」という論調は、「性犯罪者がヱロゲマニアだったから、ヱロゲやってる人たちは皆性犯罪者だ」と全く同じ屁理屈でしかありません。

 

 そもそもの話として、自画自賛や礼賛は「謙虚であるべき」として批判されるべきなのかどうかという話をするならば、日本人的発想からすると「謙虚であるべき」という批判は一部で通用するでしょう。日本人は謙虚さを尊ぶ国民性があるからです。でも、逆に云えばそれだけの話です。

 ここで面白いのは、先にも論じた通り「日本Sugeee番組」を批判しているのはグローバリズムを良しとする層であって、その彼らが「日本人なら謙虚であるべき」「日本人なら謙虚になろう」と主張しているのは、矛盾どうこう以前に主張として完全に支離滅裂ですよね。

 一方で、『「日本はすばらしい国」「世界から尊敬されている」等の自国自賛本が書店に氾濫する国が、国際基準では「男女平等で先進国最低」「142か国中104位」というのはグロテスクな光景だと思う。』みたいな一見客観性のありそうな批判もありますが、そもそも評価軸が異なっているモノを比較しても何の意味もないですよね。常識的に考えれば。それとも、「男女平等が先進国で最低の日本は、如何なるモノも自画自賛してはならない」という主張なのでしょうか? それはいわゆる自虐であり、自画自賛の対極にあるモノですから、自画自賛に対する批判としては(ベクトル的には)誤りではないですが、客観的には自画自賛を良しとするか自虐を良しとするかの個人の好みの話でしかないですよね。

 

 オレ自身の個人的な見解として、「日本Sugeee番組」について問題があるとすれば、多くの場合、そこに客観的中立性がないという事ですかね。あくまでも日本を高評価する外国人の声ばかりを集める事に終始しているため、まるでそれが外国人による日本の最終評価であるかのように見せかけているのは、ヤラセと呼ぶには弱いですし、ヤラセでない限りデマとも云えませんが、やはりメディアとして誇張・偏向しているとは云えましょう。

 ただ、報道番組ならともかく、バラエティ番組に政治的中立性を貫けと云うのは無理な話でもありますし、逆に云えばバラエティ番組だからこそある種の誇張や偏向は「表現の自由」として許容されるべきであるとも云えます。

 もちろん、誇張や偏向も度が過ぎれば批判はされるのは世の必然なので、「日本Sugeee番組」への批判として単純に「やりすぎ」という批判は一番的を射た批判ではないかとも思います。一方で、自画自賛や礼賛といった行為に対して「気持ち悪い」だの「気に入らない」だの評価するのは決して批判でなく、単にそう受け取った人たちの個人的主観に基づいたただの感想でしかない事も理解すべきです。

 

 昔、外国人から見た日本のヘンなところを大勢の外国人と日本人タレントが侃々諤々する「ここがヘンだよ日本人」という番組がありましたが、オレはこの番組が好きで毎週見てました。当たり前のように受け止めていた日本の風習や日本人の感覚が、外から見ればそんな風に見えるんだ、そんな風に感じるんだと目からウロコが落ちたのを覚えています。

 もちろんそんな番組にも問題はたくさんあって、毎回のように乱闘騒ぎが起きるから、知見が多いにも関わらず当時の「子供に見せたくない番組」にランキングされたり、出演している外国人が今で云うヘイト感情を剥き出しにしたり、一部で出演者が自分個人の経験談をまるで出生国の事実のように語った事で、結果としてそれが悪質なデマになるというケースも見てきたので、オレはその当時から「人の体験談なんて、てんで当てにならないなあ」と子供心に痛感したのを覚えています。俗に「人間が三人集まると派閥が出来る」と云いますが、それを理解した番組内容でもありました。

 昨今の「日本Sugeee番組」批判の中で、「ここがヘンだよ日本人」をカウンター的な意味合いで持ち出す人もチラホラ見かけますが、前述通りこの番組自体は今の基準からすれば相当乱暴な部分も含んでおり、今で云うところのいわゆるヘイトもあちこち飛び交っていただけに、多分思い出の中で相当美化されてるんでしょうね。そういう意味でも、人の体験談なんて当てにならないと改めて感じます。

 

 以上のような論点を踏まえた上で考察するに、「日本Sugeee番組」の一番の問題は、バラエティ番組に誇張や偏向があると気付いてない・知らない比較的若い世代の人たちの誤解を生む原因になるかもしれない、という事ではないでしょうか。特にノンフィクションのような体裁を取っている番組に関しては、そこにヤラセやデマの流布に繋がるかのような表現がないかどうか、目を光らせる必要はあります。

 オレは日本のバラエティ番組やフィクション創作の全てが「現実(事実)と異なる」と理解した上で楽しんでいますが、それを意図的ないし作為的に「現実(事実)と同じである」かのように演出し、その欺瞞に対して何の注釈も行わないのは矢張り大きな問題であり、誤解を招く原因にもなりかねません。

 昨今の演出過剰で誇張や偏向の強いバラエティ番組に必要なのは、「この番組はフィクションであり~」という例の文句なのでしょうね。