影響を与える側と受ける側
表題が内容に即してないというか、全体的な流れの中の極一部だけ切り取ってるのでアレだけど、ブクマでもコメントしたように、そも「創作物がもたらす影響」っつーのは創作者がそう仕向けるのではなく、受け手が影響を受けるっつーだけの話なんだよね。この当たり前の事を何故か理解せず、影響を与えた側を問題視しようとするのが(特に日本の)ポリコレ棒携帯市民。
もちろん、悪意を持って「受け手に悪影響を与えよう」という創作物があるのであれば、それは批判もやむなしだろうし、過激な連中が焚書による抗議活動をしても、オレは安易に批判できないし、する気も起きない。しかして、ポリコレ棒を振り回している連中が批判している創作物が、そういう「悪影響を与える事を前提したモノ」であったケースは一つとしてないよね。やれ女性の胸を大きく描くのは(あるいは性的に描くのは)性差別だとか、ヱロ漫画やヱロゲーは実際の性的被害に遭った女性に対するセカンドレイプだとか、いずれも良くて自称被害者による被害妄想か、悪けりゃそうですらないただの思い込みによる邪推。
「巨人の星」という野球漫画に影響され、プロの野球選手になった人がいる。
「キャプテン翼」というサッカー漫画に影響され、プロのサッカー選手になった人がいる。
「スラムダンク」というバスケット漫画に影響され、プロのバスケット選手になった人がいる。
ちょっと考えれば判る事だけど、どれも受け手が勝手に影響を受けただけで、梶原一騎先生や高橋陽一先生や井上武彦先生が「読者をプロのスポーツ選手にしよう!」だなんて意図では書いてないよね。少なくとも、各先生がそのような意図を吐露したインタビューをオレは読んだ事はない。
仮にあったとしても、その全てを経験したオレを含めた大半がプロのスポーツ選手になってない事実を鑑みれば、その影響性・影響力は受け手によるモノであり、創作物の影響性・影響力に一般的な普遍性なんて存在しないっつーのは誰にでも判る事。
勧善懲悪のヒーロー作品を見て育った人間が、法律や条例を犯さない品行方正に育つかどうかは全く別の話っつーのと同じ。
(それこそ、正義を語りながらも、実際にやってる事は世紀末覇者伝説作中に出てくる野蛮なモヒカン盗賊と同じレベルのしばき隊やそのシンパみたいな連中もいるしね)
同様に、性犯罪者が「 ヱロ漫画やAVに影響されて性犯罪を起こした」と供述するケースも存在するが、もしそれが事実なら世の中にヱロ漫画やAVを存在させるべきではない。犯罪誘発型の洗脳メディアって事になっちゃうからね。だが現実はそうではないから、ヱロ漫画もAVも存在している。ただシモ産業は宗教的(別に崇拝すべき神が何であるかみたいな話ではなく、個人の貞操観念や道徳観念に基づいた性的描写に対する蔑視的な主観)忌避感が強いので槍玉に上がり易いってだけなんだよね。
確かに、実際に海外で児童売春をして捕まったヱロ漫画家も実在するけど、同時に一般漫画描いてても淫行で捕まった人はいるし、それはお笑い芸人だろうが一般人だろうが警官だろうが要職者だろうが高級官僚だろうが何も変わらん。(プチエンジェル事件とかあったよね)
結局、目に付いた叩き易いモノを叩くためだけに、社会的だの公共的だのという曖昧な価値基準を持ち出し、あまつさえテメエ個人の主義主張に基づいた主観を自己肯定するためにポリティカル・コレクトネスなんて概念を持ち出して、自分の気に入らない表現を批判する事が正しいと勘違いしているのがポリコレ棒携帯市民の正体だとオレは思ってる。
結局、「配慮をしろ」という強要は個人の持つ表現の自由を奪うモノだし、その理解なく「配慮をしない創作者」をまるで犯罪者のように取り扱うのは、その本人の主観に基づく蔑視の表れでしかないんだよね。それこそが差別の萌芽であり、だからこそ代表的なポリコレ棒携帯市民である「まなざし村村民」は、自分たちの主義主張を良しとしない連中に対する差別的言動を隠そうともしない。
もちろん、「配慮」を必要とする瞬間は必ずある。だがそれは同時に、必ず社会的合意を必要とする。幾ら表現が自由だからと、一般人が警官や自衛官のコスプレをして街中を練り歩くのは問題だし、逆に警官や自衛官が(衆人環視の中)私服で仕事をするワケにもいかない。それはケースバイケースでありTPOに応じて処すべきだけど、少なくとも他人の表現の自由を制限しようとする場合において、それが自分の主観に基づいた蔑視や忌避ではなく、きちんと社会的な合意に基づく制限(社会の中で意味と意図があってなされるべき制限)であるのかどうか、ちょっと落ち着いて考える必要はあるんじゃないかな。
「私は配慮すべきだ」と考えるのは自由だし、「他人も配慮すべきだ」と考えるのも自由だけど、自分はともかく他者に対する考えを「お前も配慮しろ」と実行した時点で、それは自由ではなく強要になるんだよね。そこの差異も一人一人がしっかり自覚する必要がある。