ちくわブログ

のらりくらりのちくわさんです。

ガチで危険なオタクをキモく描いたTwitter漫画は何故炎上したのか。

 まあ、とりあえず該当の漫画を読みましょう。

※2021年10月26日、上記ツイートは削除された模様。

 これが炎上した原因は明らかで、ツイ主本人の申告が事実であるならば、これは実在するオタク男性を必要以上に醜悪に描いている以上、そこを差別的だと捉えられるのは有り得る反応なワケです。

 このオタク男性の言動が全く看過されるものではない事は概ね共有可能な感覚だとは思いますが、フィクションとして架空の人物を醜悪に表現する事と、ノンフィクションとして現実に存在する人物を醜悪に表現する事は、同じではないのです。

 過去、小林よしのり先生の「ゴーマニズム宣言」が批判された要旨として、自分や自分の意に沿う者は美化して描き、そうでない者は醜悪に描くという手法もありましたが、今回の事例はまさにそれ。

 また、構造的には「きんもーっ☆事件」と根っこが同じで、現実のオタクを蔑視する余り、滲み出る差別感情がうっかり表出してしまったとも云えます。

 このTwitter漫画を公開した方は、以前にも映画配給におけるチケット代の映画館の取り分について、1800円のチケットを売っても映画館の利益は200円しかないという誤った知識を披露した挙句、方々からつっこまれて元ツイを消して謝罪したものの、利益は200円しかないという結論は引っ込めなかった人なので、今回の漫画の内容からしても相当盛ってる、あるいは無知と偏見により過剰に演出している可能性が極めて高いのも批判の要因の一つでしょう。

 

 そもそもの話でいいますと、公演数に対してのパイが完全に決まっているアーティストやアイドルのコンサートであれば、転売対策としてチケットと個人情報が紐付けられている事はあります。

 その場合はどの席に誰が座っているのかを把握する必要がありますし、現場でも必然として個人情報の確認を行う場合がある事は想像に難くありません。

 しかしながら、一般公開されている映画において、映画館が「どの席に誰が座っている」なんて情報を把握する事はまず有り得ません

 もちろん、チケット購入時の購入者の登録情報=個人情報はチケット販売会社のデータベースには残っているでしょうが、その情報が映画館まで降りてくることは構造的に否定できます。

 

 現実の幼児に危害を加えかねない危険人物が存在する事実を周知・啓蒙する事自体は差別ではないですし、特に問題があるとも思いませんが、現実の存在を目的の必要以上に醜悪に描く事で何が得られるかと云えば、それを描いた当人の主観を知らしめるだけなんですね。

 つまり、この漫画が批判されてるのは頭のおかしいオタクの頭のおかしい言動に対する対応ではなく、頭のおかしいオタクを批判したいがために必要以上に醜悪に表現した事で表出したオタクへの差別感情そのものなんですよ。

 

 表現の自由戦士ガーや似非フェミは現実と虚構の区別がついていないというのがオレの自論ですが、該当ツイのはてブにもそれが散見されます。

 幾つか事例として、以下に貼っておきますね。

 

『アナマリア on Twitter: "明日からプリキュアの映画が始まりますね。 この時期になると毎年思い出してはモヤつくお話をマンガにしてみました。1/2 #映画館ではよくある事 https://t.co/pXwjV7g128"』へのコメント

普段は表現の自由を謳ってるブクマカが、この漫画に対して差別意識の表出だって言ってて呆れた。これでもう「非実在巨乳女性は何ら、現実の女性に対し影響を及ぼさない!批判するのは巨乳差別」って論を張れないね

2021/10/26 04:54

 現実に存在しない架空の巨乳女性は現実に存在する巨乳女性に何ら影響を及ぼしませんが、現実に存在するオタク男性を必要以上に醜く描く事は、現実に存在するオタク男性を傷つけますよね。

 同様に、現実に存在する巨乳女性を必要以上に醜悪に表現したならば、当然同じ文脈で批判されますが、モデルの存在しない架空の女性キャラに自己投影するようなマジキチを基準にされても困りますよね(伯林先生騒動じゃあるまいに)。

 そういえば虚構の巨乳(宇崎ちゃん)を現実の女性を差別すると批判した口で、現実に存在する巨乳女性の茜さや氏を侮蔑したのは、表現の自由戦士と称される人たちではなく、それを揶揄するフェミニストを標榜する方々でしたね(どっとはらい)。

 

アナマリア on Twitter: "明日からプリキュアの映画が始まりますね。 この時期になると毎年思い出してはモヤつくお話をマンガにしてみました。1/2 #映画館ではよくある事 https://t.co/pXwjV7g128"

「客をキモオタに描くな!」という"お気持ち"によって、表現の自由が今まさに弾圧されようとしている。このような抑圧者には、表現の自由戦士陣営として徹底して抵抗していく

2021/10/26 04:46

「客をキモオタに描くな!」と主張している人は、このブクマ内ではこの人だけなので、完全にわら人形批判ですね。

 何度も書きますが、批判されているのは「必要以上に醜悪に描く事」であって、見たものを見たまま描く事は誰も批判してないですし、表現の自由として否定もしていません。

 

アナマリア on Twitter: "明日からプリキュアの映画が始まりますね。 この時期になると毎年思い出してはモヤつくお話をマンガにしてみました。1/2 #映画館ではよくある事 https://t.co/pXwjV7g128"

まさか反ポリコレ勢はオタク描写に文句を垂れてないよね?「偏見を助長し差別を煽る」なんて言ってないよね?そのくせ普段「差別表現から暴力表現まであらゆる表現の自由を擁護」とか言ってないよね?

2021/10/25 21:18

 現実と虚構の区別がついてない見本のようなサンプル例。

 架空の人物を露悪的に表現する事が現実の偏見を助長し差別を煽るのならば、現実のオタク男性を必要以上に醜く描く事が偏見を助長し差別を煽らないハズはないでしょうに。

 現実と虚構の区別がつかないばかりか、客観的基準ではなく、自分の主観的に都合に合わせて偏見や差別をジャッジする事に慣れてしまうと、こういうナチュラルボーンダブスタになるワケですね。剣呑剣呑。

 

アナマリア on Twitter: "明日からプリキュアの映画が始まりますね。 この時期になると毎年思い出してはモヤつくお話をマンガにしてみました。1/2 #映画館ではよくある事 https://t.co/pXwjV7g128"

差別って言っちゃう人やばいでしょ。/不審者なので断って通常席に放り込むより問題が起きなそうな席へと対応した方がいいか。/オタクの言う表現の自由ってほんとオタクのお気持ちで決まるんだな。

2021/10/25 16:46
アナマリア on Twitter: "明日からプリキュアの映画が始まりますね。 この時期になると毎年思い出してはモヤつくお話をマンガにしてみました。1/2 #映画館ではよくある事 https://t.co/pXwjV7g128"

オタクの言う表現の自由が保障された世界って、結局はオタクの好き嫌いで守られるべき表現か消されるべき差別的表現かが決まるディストピア的世界だから信用ならんわ。普通にこんなこと言う客はおかしいだろ

2021/10/25 12:50

「オタクを醜悪に表現してはならない」なんて誰も云ってないんですけど、普段から自分たちが表現に物申す際の目的が「~を表現してはならない」なので、相手も同じ目的で批判しているor同じ事を考えてるハズと思い込んじゃうんでしょうね。

「現実のオタク男性を必要以上に醜く描けば、現実のオタク男性から批判されるよ」というそれだけの凄くシンプルな話で、誰一人として「だから現実あるいは虚構のオタク男性を必要以上に醜く描いてはいけない」なんて書いてないのにね。

 表現の自由を尊べばこそ、批判はすれど禁止や制限は謳わない。たったそれだけの事なんですけども、批判の目的が表現の禁止や制限と直結している表現の自由戦士ガーにはその違いが理解できないという見事なサンプル例でした。

 

 こうしてサンプル例のはてブを幾つか貼ってみましたが、思った以上に見つからない辺り、現実と虚構の区別がついている人は多いという印象ですね。

 

そもそもの話で云うならば、オタクの(悪い部分も含めての)テンプレート扱いについては「こみっくパーティー」の「たて男」「よこ男」で通過済みなので、虚構の存在としてオタクがテンプレート的・露悪的に描かれる事自体、オタクは受け入れてるんですよね。

 なぜならば、殆どのオタクは現実と虚構の区別がついてるからです。

 

 一方で今回の事例や「きんもーっ☆事件」、あるいは巷に溢れるオタクバッシングのように、現実の自分たちに累が及びかねないものについては、当事者として声を挙げるのは極当たり前の話。

 表現の自由があればこそ、偏見、差別、犯罪、その他一般的、社会的倫理観、道徳観念に悖る表現も可能なワケですが、表現の自由はそれを批判されない権利までは有しませんし、まして人権的にコンフリクトした場合には制限を受けるので、基本的には「ただし架空に限る」が大前提なワケです。

 普段から架空の表現が現実に影響すると物申し、それを批判すると同時に表現の禁止や制限を求めてる層が、今回のような現実に存在するオタクを差別的に描いた事例は批判する事なく「オタクのお気持ち表明に過ぎない」と評する辺りからも、彼らの目的が決して正義感から実在人物の人権を守る事ではなく、気に入らないオタクや彼らが好む表現をこの世から封殺したいという歪んだ欲望でしかない事実を再認識できて、個人的には痛快事でした。