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 テロ等準備罪(法案)にも色々問題点はあって、例えばいわゆる転び公妨が仕掛け易くなる点、例えば捜査側が証拠を捏造すれば、幾らでも容疑者が逮捕されてしまう事例を作れる点、例えば特許法・商法・著作権法民法の範疇であり、かつ現行法下でも海賊版や違法販売の取り締まりは出来るんだから必要ないだろうなどetcetc...

 与党を攻めるならそういう常識的な部分から攻めれば国民の理解も得易いだろうに、何故か極普通の真っ当な良識感を持つ国民からすると完全にズレた例えを持ち出してテロ等準備罪を批判しようとしたり、それをそのまま安倍総理や安倍政権に対する批判に繋げちゃうのは、結局のところ彼らの目的が自民党を与党から引き摺り下ろす事であり、テロ等準備罪に反対しているのはそのための政争の道具でしかなく、ホントは法案が可決されようが否決されようがどうでもいいと思ってるからなんでしょうね。本気で潰す気があるなら幾らでも論理的に攻める手段があるにも係らず、的外れな例えを持ち出して感情論的にしか攻められない背景にあるのは、そういう事なんじゃないかなあと。

テロ等準備罪(法案)に対する間違った批判のサンプル例。

 このテロ等準備罪(法案)において、「思っただけで逮捕される」「思想・信条の自由の妨害だ」「一般人が逮捕される」という批判の声もありますが、これも的外れ。

  先ず「思っただけで逮捕される」について。

 それ、誰が何時どうやって証明するんですか? オレが知らない間に、警察やそれに順ずる組織に他人の心の声を見たり聞いたり読んだり出来るエスパーが配備されたんですか? 聞いた事ないんですけど。

 そも同法案によって逮捕・拘留の機会が訪れるのは、犯罪計画の準備段階に至ってからなので、頭の中で考えただけで逮捕・拘留される可能性は(テレパシー能力を有したエスパー捜査官か、他人の心を操る魔法使いでも実在しない限り)明確にゼロです。

  次に「思想・信条の自由の妨害だ」について。

 前述と被りますが、「思想・信条の自由」とはすなわち「内心の自由」なので、思うだけなら誰も咎める事はできません。例えが不適切ですが、例えば「隣のチャンネー綺麗でスタイルいいよなあ。一発やってみたいなあ。でも和姦じゃつまんねえし、無理矢理強姦してえ」と思うだけなら、それこそ捜査官にエスパーでもいない限りどうする事も出来ません。しかしてそれを口に出してうっかり第三者に聞かれてしまえば危険人物扱いされますし、実行してしまえば犯罪になるのは現行法下でも同じ事です。

 テロ等準備罪(法案)では、この実行に移すための準備が確認出来たら逮捕・拘留が可能となりますが、実際にはこの例えではそれが出来ない理由が二つあります。一つは前述した通り、他人の内心を知る事は出来ないから。もう一つの理由は次に認めます。

  最後に「一般人が逮捕される」について。

 条文ではこうあります。

第一条  この法律は、組織的な犯罪が平穏かつ健全な社会生活を著しく害し、及び犯罪による収益がこの種の犯罪を助長するとともに、これを用いた事業活動への干渉が健全な経済活動に重大な悪影響を与えることにかんがみ、組織的に行われた殺人等の行為に対する処罰を強化し、犯罪による収益の隠匿及び収受並びにこれを用いた法人等の事業経営の支配を目的とする行為を処罰するとともに、犯罪による収益に係る没収及び追徴の特例等について定めることを目的とする。

 第二条  この法律において「団体」とは、共同の目的を有する多数人の継続的結合体であって、その目的又は意思を実現する行為の全部又は一部が組織(指揮命令に基づき、あらかじめ定められた任務の分担に従って構成員が一体として行動する人の結合体をいう。以下同じ。)により反復して行われるものをいう。

  つまり、テロ等準備罪(法案)が検挙対象として想定しているのは「個人による犯罪」ではなく、あくまでも「集団による組織的犯罪(多数の構成員によって計画された組織犯罪)」なので、前述で取り上げた例えが実際には当てはまらないもう一つの理由とはそういう意味です。逆に前述の例でも、複数の人物と共謀して集団強姦を計画し、それが露見した場合はアウトになるでしょう。

弁護士会からの批判。

  テロ等準備罪(法案)に対しては野党のみならず弁護士会からも批判の声があって、それによると「刑法では、法益侵害に対する危険性がある行為を処罰するのが原則で、未遂や予備の処罰でさえ例外とされています。ところが、予備よりもはるかに以前の段階の行為を共謀罪として処罰しようとしています。」とあり、これは一部正しいですが、実際には現行法下でも未遂罪や予備罪は存在してますし、あくまでも原則は原則であり、絶対則でない以上は例外がある事を想定しているからの原則であって、原則がこうであるからそれは誤りだという論調は論理的ではありません。

 「それまで合法だった一般市民による団体が、テロ等準備罪(法案)が成立した後では違法になる」とも彼らは云いますが、テロ等準備罪(法案)で規定された多くの刑法や民法に触れる行為が「今持ってこの現在からして合法である」という実例が全く思い浮かばないのは、多分オレだけじゃないと思います。

 現行法下では未だに著作権に関してフェアユースの概念がありませんから、例えば「MADやコラ画像を作って公開しただけで逮捕される!」と云った声はあるでしょうが、それもそもそも現時点では権利者が目こぼししているだけで厳密に云えば現行法下でも著作権法的にはアウトですし、権利者が動かなければ処罰されないから逮捕されない=グレーで済んでるというだけにすぎません。

(それが良いかどうか適切かどうかはまた別問題として)

テロ等準備罪(法案)について、どう批判すべきか。

 論点はハッキリしていて、先ず民法に触れる行為や、現行法下でも処分可能な要素は全て外させる。その上で組織的犯罪の要件も厳格化し、あくまでも犯罪組織やテロ組織を取り仕舞るための法案に組み替えさせる。

 また前述した通り、転び公妨などの犯罪捜査を行う側の暴走・濫用を防ぐための要件が不成立という点は大きな瑕疵です。よって、その運用・適用に関して厳格な基準を設け、また捜査側の暴走や横暴を防ぐためにも、「濫用・誤用した側に対する罰則も設けるようにすべき」と主張するのが正しい批判ではないでしょうか。

 法案を通すか通さないかはその後の話で、先ずは法案の拙い部分をバッサリ切り捨て、是正させる事から始めないと話が始まりません。

 にも係らず、的外れな例え話を用いた感情的批判ばかりに堕してしまう背景にあるのは、前述した通り反対している側の大半が自民党を与党の座から引き摺り下ろすための粗探しとして、「反対のための反対」をしているに過ぎないからでしょうね。

 目的は自民党を政権から引きずり降ろす事で、反対するのはそのための手段。だから「同法案の問題点を突き詰めて改正して役に立つ法案にしよう」とか「論理的に問題を指摘して、廃案に追い込むしかない」とは考えが及ばず、あるいはそのような考え方(政治を為す資質)がそもそも欠如しているからこそこそ、「何が何でも問題なんだから廃案しかない」という方策しか取れない。

 だからこそ野党やその言を鵜呑みにする側は、論理ではなく感情に訴えかける手段を選択し、結果として「何が何でも自民党を政権与党の座から引きずり降ろしたい人たち」以外の大半からすれば、正気を疑うような反論しか出来なくなるワケです。無論、最終的に廃案に追い込むために議論を重ねるのも重要ですが、結論が先にあって過程を大事にしようとしないからこそ、得られる共感も得られなくなるのは当然の話です。

 我々一般人への現実的な問題として語りたいなら、例えば「学校の図画工作の授業で、著作権のある作品を題材にして生徒に描かせた場合、それを会議で行うと決めた教師陣は『著作権の違法行為を集団的に組織した』として、テロ等準備罪で逮捕される可能性がある」とでもすれば、危機感を抱く人もいるのではないでしょうか。少なくとも、テロリストや犯罪者そのものの事例を出すよりも、ずっと卑近な例え話になっているハズです。

 オレ自身は未だ「オウムには破防法を適用すべきだった」と考えてるので、テロ等準備罪は必要だと思ってる側ですが、それでもやっぱり問題点がゼロだとは決して思いません。しかしてそれを批判する側が余りにも低レベルすぎて議論すら成立しないどころか、そもそも議論をする気がないのはどうしようもないというのが正直な意見です。

 そもそも、感情的な反発ばかりで議論が進まず、このまま力押しされて困るのは批判している側のハズなのに、彼らがそれを全く理解せずに戦術を変えようとしないどころか、エキセントリックな例え話による批判を続ける背景にあるのは、やっぱり「こんなに問題のある法案を掲げる自民党はダメだ」という空気を既存メディアを通じて作る事で輿論を動かし、それを持って自分たちが政権を握ろうとしているだけで、法案の問題点をしっかり指摘した上で法案の問題点を是正したり、その結果として廃案に追い込むという民主主義的プロセスを取る気がないからだとしか思えないんですよね。

 しかしてその方法は完全に間違ってるどころか、何かにつけ自民党を極右の犯罪者集団や同じく犯罪者ネトウヨの親玉として喧伝しようとしている側が、まるでテロリストの擁護・容認としか思えない難癖を反論だと思い込んで披露する事に躊躇がない辺り、どう考えても批判するための方法論が致命的に間違えてるとしか批評しようがないですよね。

 それに気付けないのは、彼らが本質的にダブルスタンダードで、ブーメラン気質だからでしょう。ダブルスタンダードだからこそ、他者を批判する言動の中に自分たちの主義主張と反する要素があってもまるで気にしないですし、その場その場で政敵を追い落とす事しか考えてないから、現在において政敵の言動を批判するに辺り、過去自分たちがその言動をしていた事実を全く無視しがちなんですね。

 そもそもこのやり口は、民進党を始めとした左派政党や、保守層をネトウヨ呼ばわりする左派層が批判しているトランプ米国大統領のやり口と同じなんですけどね。過激な発言で注目を集めて持論を押し通し、それを批判する側に嘘吐きとレッテルを貼り、自分の発言力を強化する。過激な例えで注目を集めて持論を押し通し、それを批判する側に安倍信者ネトウヨとレッテルを貼り、自分の発言力を強化する。これは決して、彼らが敵に学び、敵の戦法を鏡返し的に使っているワケではなく、単に(この例で云えば)「我々はトランプ大統領が気に入らないから、彼らのやり口は悪であり卑怯な戦法だ。しかし我々は正しい事のためにやっているのだから、同じ事をしても許される」と考えているだけに過ぎません。

 例えば、公共放送の停波問題やのいほいさんの赤坂飯店リークで、「マスメディアやマスコミに圧力かけるなんてけしからん!」と批判した民進党やそれに与する人たちが、実際には民主党政権時代にオフレコ発言をした大臣が「書いたらもうその社は終わりだから」と発言していたり、あるいは気に入らない内容の番組や出演者を潰すためにデモや電話攻撃などをしていたり、あるいは同じく森友問題で、証拠はいずれも籠池氏の証言証拠のみなのに、安倍総理自民党・大阪・維新の会に係る疑惑は疑惑と受け取らず真実と判断して批判するのに、それが民進党や辻元議員に係る疑惑になるとデマと断定する辺りにも良く表れていますよね。

 この矛盾と屁理屈に満ちた主義主張をそうと認識できない背景にあるのは、党派性と呼ばれる性質です。彼らは自ら信奉するモノにとって利益になる事は常に正しく、そうでない事は全て間違ってるという極めてシンプルな二元論でしか物事を解釈できないのです。

 これの云い訳として「与党(or総理)がかける圧力と野党(or大臣)のそれは違う」とか、「政府による圧力と、国民の権利(デモ)を一緒にするな」とか、「自民党は潔白の証拠を出してない」とか云う人たちもいますが、いずれもただの詭弁でしかないのは云うまでもない事です。

 酷いところだと、産経新聞はかつてデマ記事を書いて民事で争って負けた事があるから信用できない」として、彼らが云うところの極右御用達の産経新聞を批判しますが、その理路が正しいならば、秘書の給与問題で虚偽の答弁を行い、執行猶予付きの実刑判決を受けた過去のある辻元議員の証言も信用ならないとなるハズですが、そのようなツッコミをしたところで右から左に流されて反論すらしません。都合の悪いモノは目に入らないのでしょう。

 そう云えば、森友問題ですっかり有名になったのいほいさんこと菅野完氏は「差別主義者は差別して構わない」を是としていた「しばき隊」の元一員でしたね。彼もまた、女性問題や金銭問題でトラブルを起こした結果、同団体を矢を持て追われた身ですし、著書の記述の一部がデマとして出版停止になった経緯もありますから、産経新聞がデマを書いて民事訴訟で負けたから信用できない人にかかれば、同じく信用できない人になるハズですが、その人はブックマークを読む限り、のいほいさんによる籠池リークのうち、安倍批判に繋がる疑義のみを信じ、辻元議員に係る疑義はデマだと断定するでした。ホントに面白いですよね。

 結局のところ、この国の野党自身が議論や話し合いといった民主主義的プロセスによって自民党から政権与党の立場を奪取しようと目論む「政治団体」ではなく、煽動・抗議運動・デモ活動などによって政権を降ろすための空気醸成を良しとする「革命家気質の団体」でしかないから、その革命の邪魔になる法案に対して感情的にならざるを得ないというのも一つの事実なのかもしれません。