ちくわブログ

のらりくらりのちくわさんです。

批判する事と感情を吐き出す事の区別がつかない人たち。

 ある事例「○○」について、個人的な好悪是非は交えず、客観的論拠を基準として「○○は××という理由で誤っている」とするのが批判。

 一方、「○○は気に入らない」「○は嫌い」○は不快」「○はキモい」は、いずれも感情を吐き出す行為。

はてなブックマーク - 東急電鉄の作成したマナー啓発広告に関連(?)して投稿されたイラストに対する反応 - Togetterまとめ

 不思議な事に、何故かこの後者を「批判」と思ってる人たちがネット上にはたくさんいる。

 正当な批判に対しては、表現者は時にその批判に応じる必要性も存在するだろう。手段がどうであるかは別として、特に法的な問題点がある場合は、ある種の義務も備わる。(ただしいずれの場合においても、それが官憲なり司直の手に委ねられない限りにおいてはあくまでも表現者の自由意志によってなされるべきであり、強要はできないとも思うが、まあさておき)

 しかして、感情の吐露については「お前がそう思うんなら(ry」以外に返しようがないのが実状。「お前の描いた絵が気に入らない」「嫌い」「不快」「キモい」など、一般化できない基準を前提とした反論は批判として成立しない。なぜなら、その基準は個人によって変化するモノであり、個人によって変化する基準は論拠足り得ないからだ。

 そうした個人基準を前提としたそれは通常「感想」と呼ばれるモノに過ぎず、文字通り「自分が感じた事や思った事」でしかないのだが、それを「批判」と信じて疑いもしない彼らは、自らが受けてきた教育の中で「感想」と「批評(批判)」の区別が出来ないまま今に至ったんでしょうね。

 ただの個人的感想を批判と勘違いし、「表現をする権利もあれば、その表現に対して批判する権利もある(キリッ」としている様は滑稽であり、憐れでもあり。

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表現の自由」とは「公権力が国民のそれを妨げてはならないとする権利」であって、それ以上でも以下でもないので、民VS民の構造で持ち出す事に余り大きな意味はない。せいぜい「他者の表現の自由を認めないなら、お前自身がその自由を行使するな」という反駁に使うくらいだろう。

 一方、ある表現が誰かの権利を害する場合はどうだろうか。誰かを害する表現を否定するのは表現の自由に反するのだろうか? もちろんそうではない。ただし、害悪な表現を排除する場合、法的な手段によって解決しない限り、その表現を封殺するためのあらゆる言動はただの私刑行為になってしまう。

 この区別がつかない人ほど、自分の気に入らない「表現」に対し、個人的感情から導き出された感想を批評と勘違いし、他者の「表現」を軽んじながら、自らのそれが「表現の自由」に担保されているとは想像もしない。

 だからこそ、自らの不快感を論拠に、他者の「(自らが気に入らない)表現」を妨害できると信じて止まない彼らは滑稽であり、憐れであり、同時に大変危険な存在でもある。

 

 しかしまあ、冒頭のブクマコメントを読んでいても、ヱロ嫌いな人の生き辛さは痛感せざるを得ない。何せ彼らは、二次元フィクションで描かれたヱロ表現を「性的」と断ずる一方で、それを「気持ち悪い」だの「不快」だのと表現する事の矛盾を抱えて生きているワケだから、そりゃさぞ生き辛いだろう。普通の感覚でいえば、気持ち悪かったり不快だったりするモノに性的要素を感じる事はないハズだが。

 例えば、ネクロフィリアならヱログロ写真で性的興奮するだろうけど、そういう趣味がない人にとっては(例え性器がおっぴろげになっていようとも)単なるグロ写真に過ぎないワケで。同様に、本当に二次元絵が気持ち悪いなら「パンツおっぴろげ絵」でもそれを性的とは看做さないだろう。

 

 例えば「サザエさん」のワカメちゃんはこのご時勢でもパンツ丸出し姿のままだが、彼女に性的興奮を覚えるのは極少数だからこそ、それは問題にならないとも云える。

 一方で「ドラえもん」の名物だったしずかちゃんの入浴シーンやパンチラが新アニメで殆ど見なくなったのは、彼女のそれを「性的」と判断する人が多いからとも云える。

 もちろん、ワカメちゃんで性的興奮する人もいれば、しずかちゃんで性的興奮しない人も世の中には存在するだろうが、ワカメちゃんやしずかちゃんのパンチラを気持ち悪いと評しながら性的だけしからんと批判する自己矛盾の変態はそう多くはないだろう。

 気持ち悪いと批判する対象に性的興奮を抱く自分自身を省みる事の出来ない異常性癖を抱えながら現代を生きる彼らに、同情と涙を禁じえない。

 

 少なくともオレは、今回の水龍先生のパンチラ絵に対して性的だ気持ち悪いと批判している人たちが、ワカメちゃんの常設パンチラを同様に批判しているケースを見た事がない。パンチラは同じだが、一方はTwitterという箱庭的メディアでしか見られない(それも普通なら水龍先生のアカウントをフォローしてなきゃ見られないし、TwitterTogetterで話題になってるからといって、水龍先生が書かれるヱロ絵に全く興味がないどころか不快感を催すほど嫌いなのであれば、自ら見る必要すらない)それと、テレビメディアのゴールデンタイムで頻繁に露出しているワカメちゃんを比較して、水龍先生のヱロ絵はダメでワカメちゃんは許される何かがあるならば、その差異こそが客観的な視点足り得るモノになるハズだが、「性的だからダメ」「キモいからダメ」「不快だからダメ」で思考停止していて、そこまで考えてる人が一人としていないんだよね。

 結局、目の前に存在する自分が気に入らない性的表現に噛み付くのが目的としか思えないし、そういう人たちの根っこは「まなざし村」と同じなんだね、これ。

 

( ´Д`)「ほんまに気持ち悪いんやったら、気持ち悪いっちゅー感想だけで終わらせとけばそれで済む話やのに、性的やから規制されるべきとか鍵かけろとか見えないトコでやれとかどうこう云い出したら、まあそうなるわな」

 

「気持ち悪い」が先なのか「性的だからよくない」が先なのかは知らんけど、どっちにしてもその二つがない交ぜになった矛盾だらけの感想を批判だと思ってるのはすこぶる頭が悪いと思う。

 とりあえず、特にTwitterにおいて自分のTLにヱロ絵が見えてぎゃーすかわめいてる生粋のヱロフォビアに関しては、ヱロ絵をdisってる暇があるなら、先ずお前のTLにヱロ絵をRTしてくるフォロー相手をリムれって云う。公式プロモートにヱロ広告が流れて不快なら、Twitter使うの止めとけと。

 

( ´Д`)「広告の話やと、ネットやと本人の検索履歴や閲覧履歴に合致する広告を出すのもあるさかい、ヱロ嫌いやのにヱロ広告だらけやっちゅー人は、自分がヱロ検索せぇへんよーにするしかないっちゅーのもあるな」

 

 まあその、それがムッツリなのか、単にヱロフォビアこじらせた人が批判対象を見つけるために躍起になって検索してんのかは知らんけど、ほんまそれな。

 オレなんて自分でシコるためにヱロ絵描くくらいだから自他共に認めるヱロさだし、LoWやXOも基本はR-18版で遊んでるし、TL上も絵師さんのヱロ絵だらけなのに、ネットサーフィンしててもヱロ広告とか殆ど見ないんだよな。だもんで、頻繁に「ネットはヱロ広告だらけでウザい!」とか云ってる人たちのネット環境ってマジどうなってんだとしか思わないwww